「・膵臓癌闘病記2017, 1~」カテゴリーアーカイブ

2017年1月の闘病日記

膵臓がん闘病日記を終えて

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 その後、父の葬儀を執り行い多くの人達が参列してくれた。

故人もきっと喜んでくれた事であろう。

 

晩年は自治会の仕事に携わる事も多かった為か、地元のほとんど方の顔を見る事が出来た。

本当にありがとうございました。

 

父がいなくなり、あれからもう半年近くが経とうしている・・・。

早いものである。

あれ程寒かった時期が、もう暑くて耐えられない時期になっているのだから。

 

父の存在はこの世にはもうないが、おもいでや多くの遺品が残されている。

さみしい気持ちはあるが、それもまたこの世に生きる者としての定めでもある。

誰もに訪れる事であり、いつまでも落ち込んではいられない。

 

余談ではあるが、晩年に父が会いたがっていた高松に住む親友が2月に胃癌で亡くなったと聞いた。

時を同じくして旅立った事になる・・・。

今頃は二人再開を果たしているのかもしれない!?

 

幼き頃に別れた親父には会う事が出来たのかな?

俺もいつかそっちへ行った時には、二人で一緒に語りあおうな!

まだ先の話ではあるけどな・・・たぶん。

 

でも、いい想い出だったよ、俺の生き方を遠くから見とけよ

じゃあな~。

 

 

 


 

この度は”父が残した膵臓がん闘病文録”をお読みいただきました事を心より感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

 

こんなブログでも毎日多くの方々に読んでいただけた事を大変嬉しく思っております。

 

闘病日記はこれで終わりではありますが、今後も病状等が気になる方々の為に分かり易いコンテンツに作り変えていく予定にしています!

より分かり易いものへと変更予定ですので、治療の参考などにしていただけましたら何よりです。

 

どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。

 

      2017年7月13日(木)

 

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膵臓がん闘病日記1/30(最期)

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2017年1月30日(木)

 

(父の状態)

体重    ━kg

体温   36.9℃

O₂濃度  96%

血糖値  mg/dl

朝食前 ━

昼食前 ━

夕食前 ━

就寝前 ━ 計測ならず

 


(父の日課)

09:00 訪問看護より危険な状態を告げられる

09:30 流動食を少し口に入れる

09:40 手を握り励ます

16:00 娘帰宅

      子二人で手を取り励ます

17:30 息が荒くなる

17:36 家族に言葉を語りかけ永眠

 


(訪問看護士)

 休交時は吸気あり。

吸吐まではしないですが、本人が吐き気がするのが辛いとのことで、酸素吸入器や注射を頼もうとお願いすると顔を振ります。

そろそろ苦るしさが明確になってきています。

 

脈も振れにくくなってきています。

そばで時々語りかけてあげてください。

 

娘様の帰りを待っています。

 


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(父の日記)

 記載なし

 


(当時の僕)

 今日は朝から親父の容体も悪くて、看護士も心配そうに言っていたので付き添って様子を見ていました。

 

先日からはうわ言なども多く妹を京都から呼び寄せる事にしました。

手は少し冷たく浮腫みも感じられ、時々苦しそうな表情も見せながらも本当に耐えているようでした。

 

16時頃に妹が帰って来るとの予定でしたので、何とか頑張ってくれるよう励まし続けましていました。

なんとか妹が到着し、言葉を交わしつつも少し落ち着いたようだったので安心していました!

途中腕がだるくなったり、首がしんどくなったり、足がだるいなんて言っていました。

 

17時過ぎに僕が小鳥とメダカの餌やりに行こうと手を離そうとしたら少し怒ったのです!?

暫くして何とか落ち着いたので餌やりを済ませ、また手を取って様子を見る事に。

 

手を時折り強く握り返してきたりして、まだ余力もありそうに思っていましたが、突然息が荒くなりほぼ三日近く目を閉じていたのが急に眼を見開き、手を強く握りしめ僕たち家族に語りかけました!

 

聞き取れる程に声は発せられませんでしたが、最期は何か家族にお礼を言っていると感じました。

最期の言葉をうったえかけると、静かに落ちるように僕たちの前で・・・そっと息を引き取りました。

 

妹が帰って来た事に満足したのでしょう!

本当に一瞬の出来事で、従弟Yのおじさんを呼ぶ暇もありませんでした。

 

一昨年の入院前に3~6ケ月の余命宣告を受け、何度も絶望の淵をさまよい、試行錯誤で頑張り耐え続けた17ヶ月の日々が終わりました。

よく頑張ってくれたし、粘り強く耐え続けてくれた親父に心から感謝します。

また来世で会えると信じて幕を閉じたいと思います。

 

今後ブログを通じて少しでも癌治療のきっかけを作れたらと思いますし、漢方薬に一筋の光を感じたのも事実ですから困っている方に少しでも伝えられたと思っています。

 

    2017年1月30日 午後17時36分 享年74歳

 


(現状の僕)

 ついに最期の日が訪れる事になってしまった。

 

医者には先週位まで持てばと言われていたが、それを乗り越えている。

今度もまた乗り越えてくれるとそう信じたかった!

 

朝から目を閉じたままであったが、9時過ぎに訪問看護士より今日は脈が触れにくくなっていて終末期の症状が出ていると告げられてしまった。

母が僕にそばについててあげてと言う。

 

急ぎ妹に電話して病状がよくないから戻るように伝える!

訪問看護士の提案で、僕は急ぎ流動食の中身を取り出して、冷やして甘みが増すようにシャーベットを作る。

少しでも美味しく甘みのある物を口に含ませてあげたいからだ。

 

父の横で手を握り妹が帰って来るから頑張るように言い伝える!

手のひらも少し浮腫んでいるのだろうか、少し冷たく柔らかい感じがする。

 

時々両手で僕が近くで手を握っている合図の為に、そっと押してみる。

父も時々反応するように強く握り返してくる!

眠っているようだが大丈夫だと答えてくれているように感じて来て嬉しくなる!

 

時々うなされると辛い倦怠感の症状が出ていると思い励ますが、大丈夫だと頷いて合図を送ってくれる。

数時間をそのまま過ごし午後を過ぎる。

 

 

午後を回るとうなされる頻度が増して、時々片言で「腕が…」と言う!?

腕がどうしたのか分からないが持ってみると首を振る。

少し持ち上げると「うんうん」と頷いている。

 

腕を高く持ち上げると更に頷いて喜んでいるようだった!

きっと血が通わなくなってきていて、怠くなっていたのではないかと思う。

 

そんな事が何度も続くが、なかなか妹が帰って来る様子もない・・・。

駅に到着すれば僕が迎えに行く予定ではあるのだが。

 

まだか、まだかと電話を待っていたが掛かって来ないのだ。

 

16時頃に妹が家へ帰ってきた!?

従姉(いとこ)の姉に迎えを頼み、駅から車に乗せてもらい帰ってきたと言う。

 

妹が悲しそうに父の手を握り帰って来た事を父に伝えるが、頷くだけで目を開く事はない・・・。

それでも僕らの手を時々強く握り合図を送ってくれた!

とても満足してくれているようである!

 

17時前まで二人して手を握っていたが、「腕が…」「足…」「首…」が怠いと何度も訴え掛けてくる。

少し伸ばしたり、さすってあげると気持ちが良いのか頷いているようである!

 

17時前の事だったと思う。

少し落ち着いたので妹にこの場を任せ、小鳥とメダカに餌をやろうと手を離そうとしたら首を振って嫌がるのだ・・・!

どうした!?

もっと手を握って欲しいのだろうか?

 

少し飲み物を飲ませると暫くしてまた落ち着いたので、そっと手を離し急ぎ小鳥とメダカに餌をやりまた父のもとへと戻る。

また手を握り妹と二人で見守っていた。

 

看護士には危険な状況だと言われたが、今日の所は大丈夫そうだと少し安心した。

が、しかし運命の時は突然訪れたのだ・・・。

 

17時半を過ぎた頃に急に息が荒くなりだした。

何が起こったのだろうか?

妹と二人で父に一生懸命呼びかけるがとても苦しそうである・・・。

急ぎ母を呼ぶ!

 

次の瞬間、父が首を持ち上げ最期の力を振り絞り目を見開いたのだ

そして、僕らに口を開けて必死に何かを呟いた・・・。

 

だが、もう言葉を発する事は出来なかった。

それでも必死になって僕たちに何かを語りかけた!

きっと、最期に「ありがとう…」と言ってくれたのだと思う。

 

妹と二人で一生懸命に父を呼び、「ありがとう」と最期の感謝の言葉を何度も叫んだ!

その瞬間に満足し終えたかのように穏やかな顔でそっと息を引き取った・・・・・・。

 

待っていた娘が帰って来て家族が揃った事を悟り満足出来たのだと思う!

家族が皆揃い一時間半後の事であったので、必死に耐えてくれていたのだと思う。

余りにも急な出来事だったが家族で見守り泣いた。

 

従弟のYおじさんに伝え呼び寄せる・・・。

 

癌患者は激しく苦しみ鬼のような形相で亡くなる事も多いと聞き及ぶ・・・。

最期の半月程は痛み止めを服用する事もあり、苦しまなかったと言えば嘘になるが、それでも最期はとても穏やかな表情で看取る事が出来た。

 

僕達家族に向かって最期は礼まで言ってくれた事には感謝以上の言葉もない。

激痩せの症状が出て2年以上の月日が流れていたが、よく頑張って生きてくれた。

また、漢方薬の効力の為か腹水で以前のように大きくは浮腫まず、苦しみを抑える事が出来た事は何よりであったと思うのだ!

 

 

15分後に医者が来て死亡診断する。

僕はこの往診に来ていた医者に、何度も抗癌剤の服用と投与をさせた事に文句を言ってやろうと怒りが込み上げてきた!

 

あの時に不要な抗癌剤により病状が悪化した事は、ほぼ間違いないだろう。

漢方薬の服用にも意見したと聞いているのもあるから尚更だ!

 

だがこの女医は父の死亡診断を終え、顔を撫でながら涙を流しているではないか・・・。

「よくがんばったね・・・」と

・・・・・・。

 

卑怯だ!

これではとても文句が言えないではないか!

ましてや父の亡骸の前では医者を責める事等、あってはならぬと自分を必死で抑え込んだ。

 

残念だが僕に医者を責め反論する事は出来なかったのだ・・・。

女の涙には騙される事も多いが・・・仕方がなかった。

 

 

事実上、僕達の闘病記はこれで終わったのだと父亡き哀しみと、どこかもう苦しみ悩む事のない日常に戻れる安堵があった。

その後におじさんが来てとても哀しんでいる・・・。

 

僕達家族よりも父との付き合いが長いのだから、もっと深い哀しみがあるのかもしれない。

おじさんに今迄毎日見舞いに来て励ましてくれた事に感謝の言葉を告げた。

きっと此処まで生きながらえる事が出来たのは、おじさんのお蔭でもあると思っているからだ!

 

本当にありがとうございました。

心より感謝とお礼を申し上げます m(_ _)m

 

この日は近くに住む親せきや知人たちが訪れてくれた。

 

明日は通夜の準備もあるのだが僕は眠る気にもなれず、朝方まで父の亡骸を見守っていた・・・。

様々な後悔の念が甦ってくるが終わった事を受け入れるしか出来なかった。

 

父の顔を見ているといろんな思い出が呼び起こされて来るのだ。

喧嘩もしたり、二人で出掛けて語りあったこと、癌を治す為と糖尿病を治療する為に取り組んだこと等・・・。

終わってみればそれもまた良い思い出なのかもしれない。

 

小声で語りながら散りゆく映画のワンシーンのような最期であった・・・。

 

穏やかな表情で静かに上を向いて永遠の眠りについたのだが、時間の経過とともに徐々に玄関に置いてあるメダカの水槽の方へ首を傾けるのだ。

まるで大切に飼っていたメダカをずっと見届けたいかのようであった。

きっと魂がそうさせたかったのであろう・・・。

 

 

2017年1月の厳寒期に父は72年の生涯をとじた。

惜しくも冬の寒さを乗り越える事は出来なかった。

 

 

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