膵臓がん闘病日記 9/23

       

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2015年9月23日(水)秋分の日 晴れ

 

(父の状態)

体温  35.7 ℃

血糖値  mg/dl

朝食前    62

昼食前 115

夕食前   64

就寝前 242

 


(父の日課)

06:00 血糖測定、体温測定

08:00 朝食

09:30 親戚Y来院

11:00 血糖測定

12:00 昼食  1/5残

14:30 息子、嫁来院

17:00 血糖測定、体温測定

18:00 夕食 1/5残

21:00 血糖測定、体温測定

 


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(父の日記)

09:30頃いとこのY来院、14:30頃に息子、嫁が見舞いに来院。 

 

甘い菓子が食べれない、旨い煙草のマイルドセブンが吸えない。

何かに集中していない時には、何かの食べ物か喫煙で口を慰めていた。

本来人間とは常に何かを口の中に入れる事で生き延びる術を得ていたのかも知れない。

人間の性なのかもしれない。

この性(さが)に過ぎると生活習慣病に陥るものと思われる。

そして大病をするのだ。

その悪い癖を持った人間が私なのかもしれないのだ。

 

食事療法の本を息子が購入し、それを私に読ませる。

人間の身体は先ず弱アルカリ性の体液を保つ。

これが健康体の人間のpH(ペーハー)的体液である。

 

戦後日本の食事は西洋式に変化し、野菜中心から肉を多量に使う食事方法に変わった。

その肉食、動物性蛋白質摂取も魚類中心だったのが、牛、豚、鶏へと変わる。

長い歴史を考えれば、アジアの片隅で海外の付き合いもなく育てられた食文化が明治開化、戦後と急激な肉食へと傾斜していった。

そして私の成人時代の高度成長期には中流意識を持ち始めて、食の贅沢が実行される。

私はそういう世代に踊らされた。

真面目に信奉した生き方をしたのかも知れない。

 

肉食は確かに旨く何時でも何度も食べたい、美食としての欲望である。

人間欲に満足する事で幸福を感じるかも知れないが、世の中の鉄則としてその反作用がある事を知らねばならないのだ。

無常、空観、縁起という仏教中心の言葉はその意味での警告を受け取って良いのではないか。

欲に負ける事が無いように生きる、その方法論が教えではないかと思う。

「私にとって、こうであります様に」ではなく、「私はこうしたいので心の整理を助けて下さい」と祈るのが正しい。

 


(当時の僕)

 今日はお袋を連れて病院へ行った。

まだ腹部の痛みがあるのか気にしているようだったが、落ち着いている感じだった。

 

明日は3回目の抗癌剤投与の日だ。

午後から様子を見に行く予定だが、たぶん点滴しているだろう。

 

夕方のニュースで北斗晶さんが癌であり、明日摘出手術をするそうだ。

そのあと抗癌剤治療をするそうで、長い闘いになるみたいでかなりの覚悟が感じられた。

 

芸能人であっても抗癌剤治療をするんですね。

良き治療で回復されることを心より願っております。

 


(現状の僕)

食事療法の本を読み学んでくれていたようだ。

自分の食生活を改め、無駄な欲を捨てたいと思っていたのかも知れない。

 

だがどんなに願おうとも、追い込まれる寸前まで禁煙出来なかった事が結果的に命取りになっていくのだ。

 

煙草から生まれる活性酸素の量は恐ろしく、完全な健康体であっても徐々に酸化し体を蝕んでいく事を絶対に理解しなくてはいけない‼

喫煙しながら癌に打ち勝つなどとは、考えてはならない。

これは絶対的な教訓である!

 

 

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